連盟の概要 北海道軟式野球連盟の沿革
 

昭和15年(1940)9月23日に札幌市の冨貴堂ホールにおいて、札幌、小樽、室蘭、旭川、苫小牧、函館、浦河、帯広、岩見沢、野付牛、釧路、留萌の各連盟の代表委員が参集し設立委員会を開催し、現在の北海道軟式野球連盟の前身の組織が産声を上げました。(会長 佐藤昌彦、副会長 見延庄一郎、中村信次、理事長 飯島永弥、常任理事 坂 武、池端晃州、横山元太郎、上野友三、戸田新一の各氏が就任し、理事は各支部連盟1名を配置)

各種大会の積極的な援助を行ってきましたが、大東亜戦争が激しくなるにつれ、国民の間では米英色の一掃を叫ぶ声が起き、野球廃止論が飛び出し、野球熱もやや下火になりました。

しかし、戦時中も根強く生きていた軟式野球は、終戦を迎えた昭和20年(1945)に各支部から連盟再発足が叫ばれ、翌21年(1946)4月、従来の連盟を発展解消し、新たに全道一丸とする全道15地区にわけ札幌市に本部を置き、新「北海道軟式野球連盟」を設立しました。

ボールその他の野球用具の配給の単一化、公式ルールによる軟式野球の指導普及などに当たることになり、名誉会長に佐藤昌彦、会長に地崎宇三郎、副会長に見延庄一郎、坂根松太郎、植田早苗、理事長に坂 武、事務局長に鎌田丈夫の各氏が就任しました。

設立当時は肝心のゴムが不足し、ボールも配給制度でチームには年に約半ダース程度しか割り当てがなく、高価な闇ボールを買いあさる状態でした。

各メーカーの品質の改良により、パンクボールもなくなり軟式野球も健全な競技として認知され発展することができました。

現在は、軟式野球の健全な発展と青少年の健全育成を理念とし、道内組織も25支部となり、社会人約2,000チーム、少年1,000強のチームと公認審判員3,100人が登録されております。

 

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